旅ノート ー東南アジア編 Part2 in ラオスー
【投稿日】2019年08月09日 【最終更新日】2019年08月09日
ここからは東南アジア編Part1の続きです。
Part1については次の記事をどうぞ。
チェンマイから、いざルアンプラバンへ!
備考
先に付け加えておくと、チェンマイからルアンプラバンへの道は4つある。
まず1つに飛行機。
これは他の3つの選択肢と比べて非常に高くつくが、最小の時間と最大の安全性でルアンプラバンにつくことが出来る。
そして2つにバス.
非常に安いが、どうやらネットの情報を見ていると運転手の運転がずさんで、死にそうだったという意見がいくつもあった。
そのため危険が伴うだろう。
3つにslow boat。
チェンコンという場所からルアンプラバンまで、メコン川をボートでのんびり行く選択肢。
途中1泊するので、時間はかかるが安全に目的地に到着できる。
4つにspeed boat。
これは非常に危険だという意見が目立った。
実際に死者も出ているそう。
しかし飛行機よりも安く、また1泊せずにおよそ最短の時間で到着することが出来る。
チェンマイからルアンプラバンに向かうには、以上の4つの選択肢がある。
チェンコンへ
女将が言うバス停に向かう。
と、その前にコンビニで朝ごはんを調達。バスがどのくらいかかるのかとか全く分からなかったので、おにぎりを3つ購入した。
そしてバス停でおにぎりを1つほおばり、バスを待つ。
1台のバスが来た。
「Does this bus go to Terminal3 ? Terminal3!」
と、駅名を繰り返し、バスの運転手に尋ねる。
しかし運転手は理解しておらず、女将から貰っていた地図を見せると、
「あぁ、行くよ。」
と頷いてくれたので、安心して乗ることに。
そしてTerminal3に着くと、運転手のおじさんが着いたよと教えてくれた。
そこで降りてチェンコン 行きのバスを待つことに。
チェンコン行きのバスを待っていても、なかなか来ない。
自分が待つ場所もinformation centerで尋ねた場所だったのだが、万が一が怖くなり、他の人にも尋ねてみる。
どうやら、バスが30分遅れているようだ。
30分遅れてバスが到着。
乗り込み、安心して席に座る。
チェンマイーチェンコンのバスを使う人に対する注意だが、この時に添乗員(?)に見せるチケットが、セブンイレブンで支払いを済ませた際のレシートみたいなやつなのである。
なのでそこには十分注意したい。
そしてバスに座り、外を眺めながら揺られる。
少し経つと、バスが停車し、乗客が数人降りる。
どうやら休憩所のようだ。
ただし何分後に出発するのかは全く分からない。(自分だけなのかどうかは不明。)
トイレを済ませ、できるだけ早くバスに戻る。
そしてそれ以降は、休憩中にバスに置いていかれるのが怖いので、休憩時に外に出ないことにした。
そうして揺られて、停車してを繰り返して、ある停車場でのことだ。
横に座っていたおじさんが外に出て、帰って来ないままにバスが発車。
そのおじさんがバッグか何かを置いていたら、明らかに置いていかれているので、添乗員に言えるのだが、しかしそのおじさんは何も残していないのだ。
残しているのは、前の椅子のネット部分に入れている水とパンのみ。
あの時のおじさんは、そのバス停で降車したのか、それとも置いていかれていたのか。。。
そして、google mapで時々確認していたものの、どこで自分が降りれば良いのか分からない。
チェンマイーチェンコン のバスなのだが、チェンコン がバスの終着点である確信はなかった。
なのでGoogle map で確認し、チェンコン 付近で、添乗員に自分のチケットを見せて聞いた。
すると、もうすぐだ。と言って、どこかを指差す。
どうやらチェンコンステーションのすぐ近くで、私は場所を聞いていたようだ。
着いたのが5時だったか6時だったか。
めちゃ時間がかかったことを覚えている。
チェンコン到着
チェンコンは田舎寄りかな笑
降りた地点からホステル(sleeping well hostel)まで、そこまで遠くなかったため、歩いて行くことにした。
と、その途中にセブンイレブンがあった。
どうせまだ他にもコンビニがあるだろうと高を括り、そのセブンイレブンを通り過ぎた。
が、その先二度とセブンイレブンを見ることはなかった。
そしてホステルへ。
1階にカフェのような場所が併設されて降り、これは便利だと思い、パソコンを広げるが、すぐにたたみ、大部屋に入った。
蚊を中心とした虫が多くいたからだ。
ふう、東南アジアはなぜこんなにも虫が多いのか。
とりあえず、ボートのチケットを取ってもらおうと思い、ホステルの受付の人に話してみる。
どうやら英語が分からないようだ。
チェンコンでボートのチケットを取る
「boat to Luang Prabang」
とホステルのスタッフに片言で尋ねる。
そしてボートの値段を見せてもらうと、slow boatで、1350baht!
むぅ。
高い。。。
ちなみにボートには2種類あって、slow boatとspeed boat。
Slow boatは1泊2日でチェンコン からルアンバハーンまで行く。
一方で、speed boatは、1日でその工程を行く。
旅の移動に疲れていた私は、speed boatで素早く移動したかった。
が、ネットで情報を見ていると、事故が多く、死にたいならspeed boatに乗れという意見が目立つ。
一応、speed boatの情報もホステルの人に聞いてみると、英語が分かる人を電話に呼んでくれて、その人と英語で話した。
すると、speed boatは、今(7月ー8月)はシーズンではなく、speed boatを使いたいなら、1台を1人で丸ごとチャーターしないといけないとか。
お値段は1500 baht。
値段の差は全く気にならないが、ただでさえ事故が多いという意見が多いのに、シーズンではない時期に、1人で乗るのであれば、事故に会う可能性が2倍マシのように思えた。
ので、結構悩んだ結果、しぶしぶslow boatを選択。
そしてやることも終えて、小腹が空いたので、ホステルの前にあったバーのようなお店でpad thai をいただいた。
そこはどうやらクラブのような感じで、おそらく同じグループだが、若者の男と女が一緒になって店のカラオケで歌ったりしていた。
そしてホステルに戻りお風呂に入ることに。
事前にbooking.comで見ていた写真では、お風呂場から青空を仰げている素晴らしいお風呂の写真があった!
お風呂とトイレの空間にすごくシビアになっている私には、このホステルで即決だった。
しかし、いざお風呂を見ると、予想とは全く違った。笑
屋外のお風呂に屋外のトイレ。
青空を仰げるといえば、聞こえは良いが、それはつまり屋外にあり、つまり虫が入り放題ということだ。
なぜ、虫が多いこの東南アジアの地で、お風呂を屋外に作ったのか。。。。
そして就寝。
国境越え/チェンコーン→ファイサーイ
朝8時にホステルの受付にいとくように言われていたので、受付で待っていた。
するとスタッフさんが来て、車に乗せてもらってタイの国境へ出発。
タイ出国手続きを済ませ、タイの国境からバスでラオスの入国管理所へ。
日本人はラオス入国の際にビザの申請が必要なかったので、簡単に入国手続きを終わらせた。
そしてそこはもうラオス。
初ラオス!
そこからはボートまでを斡旋している団体に加わり、slow boat の港まで連れていってくれる。
行程はこうだ。
まず、ラオスの国境を出発し、彼らの拠点のようなところに立ち寄る。
そこで、ボートに乗る前の食料や飲料を買った方が良いと勧められる。
そしてそこに滞在できる時間も少なく、他に選択肢もないので、彼らが提供する高めの、食料・飲料・simカード・両替・ホステルで済ますことに。
そこで周りのコンビニなどを探す時間の余裕もなかった。
ホステルも、何か分からないが、そのボートまでのツアー(?)のようなものを担当している人が何か英語で喋っていたのだが、どうやら、その拠点にいるうちに、ホステルに連絡しないと、その港まで迎えにきてくれない。だとか、なんとかで、時間もなく、向こうに主導権があるまま、彼らが斡旋しているホステルを取ることに。
お値段は400 baht。
ツアーなど、自分に主導権がないようなものに、十分な情報がないまま参加しないようにしようという教訓になった。
結局、食料も飲料も何も買う時間が無かった。。。。
食料も飲料も何もないまま、ボートに突入。
ボートから見た風景
ボートの内装
(食料は無くても我慢すれば大丈夫だが、飲料無しは深刻だった。後、たまたまハイチュウ半分くらいだけ持っていた。)
食料も飲料もなく、なけなしの食料である、残り物のハイチュウ半分くらい笑
slow boatを選ぶ人への教訓
ここまでの教訓としては、2つある。
まず1つに、チェンコン 側で食料と飲料を買い込んでいったほうが良い。
チェンコンを出てから、コンビニなど、安く美味しい食料・飲料を提供している場所を1つも見ることができなかった。(と言っても過言ではないと思う。)
2つに、節約で値段の安さを求めてslow boatを選択するのは間違っている。
値段の安さを求めているのであれば、飛行機でチェンマイからルアンに向かったほうが、幾分安くつくように思う。
slow boatがバス込みで5000-6000円程度で、Flightは1万円くらいだったのだが、全てを含めると、(あまり選択肢がなく割高なチェンコン のホステルの代金、1泊の際のバークベンでの割高なホステル。ボートの割高な食料・飲料。)flightの方が安くつくし、快適だと思う。
ただし、今回私は、チェンコーンからルアンプラバンまで、行程を全て任せるプランを選択したので、高くついたのかもしれない。つまり、あまり現実的ではないように思えるが、自分で国境を超えたりボートチケットを取ったりしたら、安くつくのかもしれない。
いざslow boat旅!
そして船着場に着き、ツアーの担当者の人がslow boatのチケットを購入してくれ、番号を渡された。
その渡された番号の席に座れということらしい。
そして、いざ船に乗る。
ネットでは、
「slow boatの座席は、車のシートをそのままつけただけのもの!座り心地悪い!」
といったマイナスな評価が目立ったが、なんのことはない。
狭いため、快適とは言わないまでも、贅沢を言わなければ、私にとっては合格点の椅子だった。
自分の番号を探し、その席に座ろうとすると、その席に他の者が座っている。
ん?
と思いそこで立ち往生していると、自分の目の前の席に座っていた2人のフランス(?)女性に文句を言っている、ごつめの欧米系男性がいる。
どうやら、その女性たちは番号が違うのに、そのシートに座っていたようだ。
そしてその男性が「番号が違うからどけ!」と言うが、その2人の女性は全く聞く耳を持たない。
特にどちらの味方をするでもないが、なぜ、このフランス系女性の2人が、それほどまでに頑なに聞く耳を持たないのかが理解できなかった。
そして、その男性はそのboatのスタッフに大声で文句を言う。(この男性はその前に、大声でスタッフに、こいつらがルールを破っている的な発言をしていたが、スタッフは取り合わなかった。)
「Why don’t you respect the number!?
This is not Mexico, this is … here!」
と言ったのだが、その文章が印象的だった。
おそらくアメリカから来た人なのだとは思うが、メキシコの名前をまるで無法地帯の象徴かのように出したのだ。
それほどまでにメキシコは治安が悪いのかと印象に残った。
その男性は結構強面だったのだが、それに全く動じない女性2人にも、またスタッフに大声で文句を言うその男性も、なんか日本とは違うなぁと思った。
結局その男性は諦め、その女性たちの後ろに座る。
(追記:後々分かったのだが、この「渡された番号無視」がslow boatのルールらしい笑
番号無視が普通のため、番号を気にせず、とりあえず良い席に座れという記事を見つけた。
つまりそのフランス系女性2人は、その番号無視ルールに則っていたのだろう。
そして、その強面の男性は、私と同じく、そのルールを知らなかったのだろう。)
チャールズ
自分の横には最初誰も座っておらず、また自分の後ろの席も、男性が一人で座っているだけだった。
と、そこで、カップルが登場。
カップルが私の後ろの男性に、席を前に移動してくれないかと頼み、後ろの男性が、カップルが隣同士で座れるように配慮して、席を譲った。
そして私の横に。
なので、そのフランスから来た32歳の男性、チャールズと一緒に座ることになった。
カップルに席を譲っていたし、心優しい人なのだろうと思い、喋ってみた。
プログラマーで、4週間ほど時間をとって、彼女と東南アジアを旅行しているそうだ。(彼女は右後ろに座っていた。)
もっとも特筆すべきなのは、その男性が40カ国も海外の国を回ったことがあるということだった!
すげぇ。
大学では数学を専攻し、そしてhigh schoolで数学の教師になり、そして1年前くらいからpythonを使ってスタートアップでリモートで働いているそうだ。
そして1通り話すと、チャールズが立って右後ろに座っている彼女と話し始めた。(席を変わろうかとチャールズに行ってみたが、彼女がその席を気に入っていると言うので、席はそのまま。)
なので、外の風景に目をやり、広大な自然とメコン川、そして船の快適な風に包まれて少し寝てしまった。
ローカルの女の子
そしてすることもなくなったので、kindleを出して読書をすることにした。
slow boatでは暇になるだろうと思い、チェンコン で本を買っていたのだ。(kindle本当に便利!!)
読んだ本は深夜特急。
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バックパッカーのバイブルだそうです。
純粋に面白い本だったのでオススメ。
スラスラ読める本で、おそらく2-3時間もあれば読める本なのだが、全然読むことができなかった。
原因はこの子。
とても素敵な笑顔を見せてくれるハイチュウ大好きの女の子atメコン川。カメラを向けると、シャッターチャンスを作ってくれた。笑
この女の子は、私の前に座っていて、多分、バークベン(チェンコン→ルアンプラバンの中間にある場所)に住んでいる。(バークベンで降りて多分翌日のボートにいなかったから。)
最初は座席の隙間からこちらを笑顔で見てくるので、笑顔で手を降ったりしていると、結果めちゃ懐いてくれた。笑
結局、途中からバークベン到着までのおそらく4-5時間ほど、ずっとその女の子と戯れていた。
とても貴重な体験だったし、とても無邪気で可愛かった笑
彼女はローカルの子供なので、英語が喋れない。
彼女が何かを語りかけてきても、何を言っているか全く分からない。
なので基本的にはジェスチャー。
彼女が手を差し出してきたので、持っていたハイチュウを1粒その手においてみることに。
するとその手が引っ込み、ハイチュウを頬張る。
その後、そのハイチュウを包んでいた紙を彼女が片方の手に握って、「どっちだ?」とニコニコしながら手を差し出してくる。
ただ、ハイチュウのゴミが少し手からはみ出していたり、握りしめる瞬間に紙が見えているんだよ。
甘いぞ、ローカルの女の子よ。
ただ分かっていないふりをして、紙が入っていない方を選ぶと、キャッキャッと楽しそうに何度も何度も手を差し出してくる。
そして何度も何度も紙が入っていない方を選び、マジかよ!みたいな反応をすると、ケタケタ笑ってくれる。笑
そしてハイチュウの紙を折って紙飛行機を作ってあげると、こっちに向かって投げて来たり。
川に向かって投げようとしたり。それを制止すると、また面白がって何度も川に向かって投げるふりをして来たり。
基本的には全て、彼女が飽きるまで繰り返される。
ただ、彼女がずっと笑顔で楽しそうなので、私も遊んでいてすごく楽しかった。
時々、ローカルの言語で話しかけてくるので、分かんねぇ。と思って日本語で早口で適当に返してみると、笑顔で、「ha?」と聞き返してくる。そしてこちらも「ha?」と返して笑って会話は終わる。
言語が通じないため基本的に、会話と呼べる会話はそのくらいだった。
一つなんというか驚いたのは、彼女がボートの壁に向かって、パソコンの真似事をしたときだった。
結局何をしているのか、何がしたかったのかは分からなかったのだが、明らかに彼女はキーボードを想像して船の少し出っ張ったところをカタカタ叩き、画面だと想像していると思われる部分をタッチしている。
ラオスという発展途上の土地で、ローカルの、こんなに小さい子供が見せた最初で最後の真似事は、動物などではなく、そのパソコンのようなことだったのだ。
とまぁ、戯れながら、時々、手を差し出してくるので、その度にハイチュウをおいて行く。
結局ハイチュウ全て彼女に持っていかれてしまった。笑
ハイチュウが最後の2粒になったとき、流石に1粒は何かの時のために残しておきたいと思い、1粒だけ渡して、もうない。というジェスチャーをした。
くれ。くれ。と手を何度も差し出してくるので、逆にくれ。くれ。という意思表示で逆に何度も彼女に対して私が手を差してみる。(特に理由はなく、なんとなく、である。)
すると、その女の子はその渡した1粒のハイチュウの包み紙をおもむろに開けて、ハイチュウの粘着力など御構い無しに素手で、ハイチュウを半分に引きちぎり、その半分を笑顔でこちらに渡してきた。
その彼女の優しさにも心打たれるものがあったが、ハイチュウを引きちぎって素手で半分にするという彼女の発想にも驚いた笑
その女の子の気遣いが嬉しかったので、ありがたく受け取り頬張った。
その光景を横に座っていた母親も笑ってみていた。
この母親は、その前に、自分とチャールズが少し声を大にして喋っているときに、睨みつけてきた人だった。(その時は気づかなかったが、その女の子がどうやら眠っていたようだ。)
そしてその少女の行為が嬉しかったので、結局、最後のハイチュウも彼女に渡し、結局私の食料は尽きた。
途中、喉が渇いてちょっとヤバい感じがしたので、お水だけ購入。
ボトル1本500円-600円くらい。
子供の偉大さ
彼女の屈託のない笑顔を見ていると、子供の「無邪気・無垢」の偉大さを感じずにはいられなかった。
子供は未来の宝だとよく言われるが、未来に限らず、この無邪気さが宝であり、子供は存在するだけで宝なのではないだろうかと思う。
子供の無邪気は本当にすごい。
言葉は通じなかったが、楽しい時間を過ごさせてもらった。
ホステルで
その後、ホステルに向かい、そのホステルの受付で鍵をもらっていると、なんとチャールズとプリナ(彼女)がいるではないか。
どうやら同じホステルに泊まっているようだ。
声をかけて、夜ご飯を一緒に食べることにした。
メコン川の夕日が見えるレストランでラオスビールを飲みながら、炒め飯を食べる。
うむ、美味い。
そうしてひとときの団欒を楽しむ。
天井についているランプには虫の大群が。笑
虫がいっぱいいるねと笑い、ビールの中にも虫が入ったりしました。
そこでチャールズカップルから聞いた、最もショッキングなニュースが、
「ホステルでシャワーとか洗面所で出る水がbrownyだったよ。」
です。
彼らがシャワーを使おうとした時、水がbrowny、つまり茶色かったそうです。(メコン川の水だから。)
うーむ、最悪。。。。
ご飯を食べ終わり、一緒にあたりを散策し、明日の分の飲料や食料を買い込むことに。
高い。。。。
ここの住人たちが、観光業で成り立っているにしても、ぼったくりすぎる。。。
水が30000kip、つまり1本300円。
日本でも高く感じるが、2,30円の水を普通に見てきた東南アジアでは異様の高さ。
少しでも節約したかったので、水1本と、小さなチョコレートのお菓子(200円)だけ買って、それで今日の今後と明日の大半を過ごすことに決めた。
そして、就寝。
シャワーから出る水は白く見えるがよくみると茶色。
そしてトイレには、赤い水が溜まっている。
受付の男は愛想が悪い。
良い印象を抱かないホステルだった。
そして起床。
Slow boat 2日目!バークベン→ルアンプラバン
9時出発のボートだったので、早めに8時くらいにホステルを出てボートに向かった。
もう既に多くの観光客が席を確保していて、あまり咳が残っていなかった。
席を取り、出発。
このボート旅の唯一良かったところは、両日とも天気が晴れていたことだ。
すごく景色が良くって。
この旅でのベストショット!
景色を眺めることが本当に楽しかった。
とはいえ、時間が長すぎて、しんどい。
色々な動物がいたり。
横をスピードボートが通ったり。(この光景を見てスピードボートはやめて正解だったと思った。船頭がボートの後ろに座っていて舵を取っている。つまり船の進路に小さな岩があったりしたら、彼には見えないと思う。)
民家があったり。
広大な自然があったり。(というか9割9分、広大な自然だけど。)
子供達が手を降って来たり。
(のちのちチャールズカップルに聞いたのですが、この2日目のボートでルアンプラバンで有名な洞窟前も通るそうなので、その洞窟もみると良いと思います。見逃した。。。)
そして、私にとって印象的なシーンが訪れます。
地元の子供達
ボートは、時々ボートの港のようなところに止まります。
(港のようなところといっても、止まっているボートが2,3あるだけ。予想ですが、そういったところに止まるのは、エンジンを冷やすためなのかなと。)
そうして、ある港で止まった際に、止まっているボートの横に私たちのボートをつけます。
その止まっているボートに沢山の子供が乗っていて、こちらに向かって何やら騒いでいる。
おお、可愛らしい。と和やかなムードが船内に流れたのは明確だった。
現に、自分の前に座っていたアメリカ系の(アメリカか定かではないが、白人)家族も微笑んで、子供達を眺めていた。
そしてボートが横にピタリとつくと、子供達が一斉に、手縫いの何かを差し出してくる。
そう、商売をし始めたのだ。
まだ幼い子供達が。
Fiftyかfifteenかは分からないが、fifty thousand kip,つまり500円か150円と連呼して、こちらに手縫いのその何かを差し出してくる。
その沢山の子供(10歳には満たないと見られる。)がそれを差し出して商売をしてくるのを見ると、何か感じるものがあった。
実際にその悲壮感を漂わせることを狙って、その子供たちの親は子供たちにそれをさせているのだろうが。
その光景を見て船内のある者は、慈善の心だろう、その何かを買おうとする。
自分の横に座っていたある者は何を買うわけでもなく、ただその光景の写真をパシャパシャパシャパシャ撮る。
ここで一番印象に残っているのは、目の前の白人の家族と、その子供達の対比の光景だった。
そのアメリカ系家族が特に何かをしたわけではないのだが、その家族にはその子供達よりも少しだけ大きい男の子がいた。
その男の子が、綺麗な服を着て、果物を頬張りながら、笑顔で(物珍しさだろう。)その手作りの何かを懸命に売っている子供たちを眺めている。
その対比が目に焼き付いた。
「世界遺産と隣り合わせの貧困」
全くその通りなのだろう。
その光景を、生涯忘れることができないような気がした。
貧富の、貧と富は必ずしも一概に優劣をつけれるものではないけれど、それでも、世の不平等を感じずにはいられなかった。
そして船は6時くらいに到着。
しんどい。。。
世界遺産の街Luang Prabang
Luang Prabangに到着!
その後そこで斡旋されているトゥクトゥクでluang prabang市街地へ。
とりあえず、市街地で両替を済ませる。
この、STBという両替所が一番レートが良いらしい!実際他の両替所も見たけど、そんな感じだった。
また、simカードももうすぐ尽きるので、simカードを買える場所を確認しておいた。
またsimカードについては、大通りにある、LAO TELECOM CUStOMER CENTERというところで買えるようだ。
そしてそれらを済ませ、ちょうどナイトマーケットの時間だったので、ご飯を食べることに。
結局その日は船でチョコの小さなお菓子一つしか食べていなかったので、すごくhungry。
まず屋台でソーセージをいただく。
うん、うまい。
そして少し歩き、ネットで美味しいと書かれていたカオソーイをいただくことに。
うむ、うまい。
ここのカオソーイは、タイで食べたカオソーイよりもクセがなくて、とても美味しかった。
そして夜の7時くらいだったので、とりあえずホステルに向かった。
ホステル(名前は伏せておく。)
ホステルは評価も9越えの高評価のところを選んだ。
受付の人もすごく良い感じの青年だった。
そして何より、シャワーとトイレが別!
これが私にとっては一番重要だったので、ここを選んだのだが、とても良かった。
ベッドにはカーテンもついているし、ベッドも清潔。ロッカーもある。そして何より安い!(1泊300円くらい。)
そしてとりあえずお風呂に入り、青年に洗濯物を頼み(1kg 100円)、近くのカフェに行った。
コーヒーを飲んで、パソコンをいじって過ごし、その店が10時半閉店だったので、そのくらいの時間に外に出た。
と、その時に気付いたが、足を蚊にすごい噛まれている。。。。
デング熱がちょっと怖かったので、蚊除けスプレーを買って、以降、厳重体制をしくことにした。
タイとかでは長ズボンをずっと履いていたので、全く噛まれなかった。長ズボンおすすめ!
そしてホステルに戻った。
疲れたので、とりあえず自分のベッドに寝転んで、写真を見返していた。
メコン川のすごく壮大な景色の写真や、戯れた少女の写真など、見ていて飽きなかった。
「あぁ、ボートはしんどかったけど本当に良かったなぁ。」
そう思い返す幸せな時間。
そして11時半くらいだったので、とりあえず歯を磨こうと思い、そのベッドに付随しているカーテンを開けて、外に出ようとした。
と、その時だ。
この旅1の衝撃が訪れる。
出た。(ここからは笑い話しであり、悲劇的なものではないです。)
その時に出たのだ。
出てしまったのだ。
みてはいけないもの。
一番みてはいけないものが。
そう、ゴキブリである。(以降、Gと称する。)
それも特大の。
カーテンを開けた瞬間に自分の目の前の壁をカサカサと動いたのだ。
すでに時刻も遅く、寝ている人もいた空間だったので、本能的に叫ぶことはなかったが、後ろに飛び上がってしまうほどには驚き、叫びそうになった。
どうにかしてベッドを出て、この場から立ち去らなければならない。。。。
そう考えた。
しかし自分がそのベット(2段ベッドの上側)から出るためには、そのGの目の前のはしごをつたうしかなかった。
あまりにも近すぎて無理だった。
つまり、私はベッドでGが去るのを待つしかないというわけだ。
もう、その時の恐怖は異常だった。
逃げることもできず、退治することもできず。
ただ近くにいるどデカイGが去るのを待つしかない時間。
ただGがこちらに来ないことを神に願うのみだった。
そうしてGを見失わないように、(見失うことが最大の恐怖を生むことは分かっていた。)一挙手一投足を見守る。
すると、その時である。
Gが羽を広げてブーンと飛ぶではないか。
「え?」
純粋に疑問だった。
Gは飛べない虫だが、死の恐怖に直面することで、生存本能から飛べるようになるということを聞いていたからだ。
「こいつ、なぜ飛べるんだ?」
と思いながら、とっさの、想像だにしなかった、GのFlyに、私の体は後ろに飛び上がり、叫びそうになった。
まだ、飛んで別の場所に行くのなら、そんなに驚かないのだが。
GはFlyして、こちらのベットの領域の壁に正式に侵入してきたのである。
つまり、今の状況はこうだ。
まず自分のベッドがある。
そのベッドの頭がわに今、私がうずくまっている。そしてベッドの左側にカーテンがあり右側が壁。ベッドの左側の足元らへんにハシゴがかかっている。
そして幾度の死線を乗り越えてきたと推測されるFlying Gは、ベッドの足元の右がわの壁に着地したのだ。
この状況でもハシゴを降りることは、Flying Gに近すぎて無理だった。
そして何よりも、その場で何か動けば、Flying Gがこちらに向かってFlyしてくるような気がした。
ので、もはや微動だにできなかった。
そこで2分ほどだろうか。
Flying Gは動かなかった。
その時に私は、ふと思った。
つまり私のすぐ近くのライトが付いているのである。
虫はライトに引き寄せられる。
つまり。。。。
と絶望した。
しかし微動だにできないからライトを消せないし、ライトを消してFlying Gを見失うことの方が怖かった。
まさしく絶体絶命である。
いつ私に向かって、Flyingしてくるかも分からない。
別に自分の家でGが出たのなら、こんな恐怖はない。
家なら逃げることもできるし退治することもできる。
しかし今は逃げることもできないし、退治することもできないのである。
この時の恐怖感は、例えて言うなら、テロリストが私に向かって、いつでも撃てますよと言わんばかりに銃口を向けているような。
そんな感じではないだろうか。
死ぬも生きるも相手次第。
そのような、どうしようもない絶望感とともに、Gの一挙手一投足をただ見つめていた。
ただ息を押し殺して、見つめていた。
するとGが、また羽を広げて、ブーンと飛んだ!
とうとう私の方に来るのか!と思って、叫びそうになりながら見つめていると。
自分の横の人のベッドの空間に行ったのだ!!!
少し呆然とした後、とてつもなく安堵し、素早く自分の荷物をまとめて、ベットを出た。
もはやそこで寝ることは不可能だった。
というか、その日は、その恐怖感で寝れないような気がした
目を瞑れないと思った。
Flying G ホステル(仮称)の対応
そしてここからも厄介だった。
あまり他の人に聞かれないように、客がフロントからいなくなるのを待って、cockroachを見たと伝えた。
そして受付がcockroach?という顔をしたので、写真を見せると、
No——。
と言い、
I think you saw ant.
と言う。
東南アジアでは、Gはアリの1種と考えられているのだろうかと思ったが、そうではなかった。
多分、Gが出たことを認めるとホステル的には打撃なので、認めたくなかったのだろう。
Gが出るはずがないとずっと言い張る。
しかし別にGはどこにでも出るものであり、Gが出たからと言って、そのホステルに文句を言いたかったわけでもない。
ただ、Gを見る前に、そのホステルが素晴らしかったので、明日のもう一泊分も予約してしまっていたのだ。(つまり2泊。)
Gが出ることは理解できるものであり、ホステルを責めるつもりはないと説明した後に、まず、他の部屋で空いているベッドはあるか。と聞いた。
他にベッドが空いていたからといって、もはやそのホステルに泊まるつもりはなかったが、なんとなく聞いてしまった。(Gは1匹出れば100匹はいると日本では聞く。東南アジアでは1000匹は、いるのではないだろうかと思った。)
するとスタッフ(というか、多分オーナー。)は、
「それはあるにはあるが、部屋の値段が違うので、差額分の追加料金が必要だ。」
と言う。(他の部屋が、その部屋よりも少しだけ高かったため。)
正直、その差額分は100円程度のものであり、大して痛手ではなかったが、Gの出現を認めないその態度も、そして、この状況で差額分を払えというその回答も気に食わなかった。
なら、いい。このホステルに泊まらずに出る。こちらのワガママでもあるので、今日の分の宿泊代の返金は結構だ。ただ、明日の分の予約をしてしまっていたので、キャンセルをしたいと伝える。
すると、「明日の分のキャンセルはできるがその分の手数料として5000kip渡せ。」と言う。
(詳しく言うと、自分はbooking.comで予約しており、キャンセルしても、宿泊代は自動でカードから引き落とされると言う文章がbooking.comには書かれていた。その受付は5000kip渡せば、クレジットカードからお金を取らないと言っているのだ。)
ただ、私は、「こちらのカードから自動で宿泊代金が引き落とされるので、その宿泊代金分を今現金でキャッシュバックしてほしい。」という要望を伝えていた。
(ややこしいんだけど、要するに意思の疎通ができていない状況。)
私の英語のリスニング能力不足もあるが、彼の言っていることが理解できなかった。
彼の英語がなまっていると言うか、なんと言うか。
例えばキャンセル(cancel)をカンセルと言うのだ。
その調子で、ただでさえ複雑な状況に加え、彼の訛りで推測もできず、何度も何度も聞き返した。
紙に書いて説明してくれと言うのに、紙に書かずに、ひたすら訛りの英語で喋ってくる。
そして2人はヒートアップし、軽い口論のような感じに。
彼は。「これだから日本人は。」的な捨て台詞も吐いていた。(日本人のリスニング能力の無さを指してのことだと思う。)
そして、彼の言い分をなんとか理解し、5000kipを払って、そのホステルを去った。
言い合っても何もならないし、もうその場を去りたかった。
最後にthank you. Bye.と一応言ったのだが、彼は無視。
なんだろう。何度も聞き返したことは百歩譲って、こちらの英語力の無さとしよう。
またGが出たから部屋を出たいというのも、こちらのわがままとしよう。
ただ、その受付の態度は明らかにいただけるものではなかった。
私は、ただGが出たことを認め、謝罪して欲しかったのだ。
大層な金額のホテルでもないので、返金、なんなら明日の分の返金もいらないくらいだった。
だが彼は、まずGを見たことを「アリを見たんだろ。」と全く認めず。
Gが出たことを謝罪せず。
そして部屋を移すには差額を払え。明日の分のキャンセルをしたいのなら手付金を払え。と、この後に及んでビジネスライク。
これが最初のluang prabangのホステルだったことを本当に嘆いた。
レビューに事実だけ書いたろかと思った。
ホステルやホテルなどの宿泊所でこのような腹立たしい思いをしたのは、恐らく初めての経験だった。
そして夜のluang prabangに放り出されることになる。
追記
話の流れで、このFlying G Hostelの話を後にチャールズやフィリピンの女性にしたのですが、笑ってくれず、同情してくれた笑
笑い話だと思って話したんだけど、英語って難しい。
そして、夜のLuang Prabangをさまよう。
深夜のルアンプラバン
時刻は夜の12時半。
Booking.comでどこか別の宿を取ろうとするも、もう時刻が12時を過ぎているため、予約ができなかった。
さらにsimカードももうすぐ尽きる始末。
最悪だった。
最悪の状況だった。
そしてさっきの経験(身動きのできない状況でGが目の前にいる。しかもホステルで。)がトラウマになって、その日の夜は寝れる気がしなかった。
まぁ、観光地であるため、どこか24hのレストランなどがあるだろうと甘い考えを抱き、とりあえず夜のluang prabangを練り歩くことにした。
が、全く無い。
メインロードは街灯は多少ついているものの、全く店が空いていない。(開いているお店は2-3軒だけだったと思う。)
そしてメインロードを外れると、明かりもなく暗い。
そんな感じだった。
とりあえずメインロードを歩いたら、何か24hのお店があるだろうと思って、メインロードを歩く。
すると。
メインロードは、ゴミの山だった。。。。
あまり伝わらないかもしれないがゴミの山。
あまり伝わらないかもしれないがゴミの山。
ナイトマーケットの弊害だろう。
街が世界遺産?
美しい街?
世界一訪れたい国、ラオス?
一気に冷めた自分を実感した。
これが現実なのだろうと思った。
道には野良猫や野良犬がうろつき、またゴキブリもいた。(外で見かけるゴキブリは、もはや一向に構わない。)
ひたすら練り歩いていると、やんちゃそうな若者がバイクでメインロードを通り過ぎる。
夜に1人で出歩いている私が物珍しかったのか、時々、こちらを冷やかしてきたりもした。
ひたすら練り歩き、たまたま見つけたトゥクトゥクのおじさんに(トゥクトゥクも全くいないと言っても過言ではない。)、ここら辺に24hのレストランは無いか。と聞いても、無いと断言する。
このままではまずいと真剣に思った。
Luang Prabangの治安がどうなのか知らなかったから怖かった。
とりあえず道を歩いて、見つけた宿泊所の前に行ってみると、ソファに寝転がっていた受付が気づいてくれて、ドアを開けてくれた。
部屋は空いているか尋ねると、部屋は空いていて300000kipだそうだ。つまり3000円。
Gの恐怖で寝れる気がしないのに、3000円は高いと思った。
いくらか払うので、このホテルのフロントで1晩過ごさせてくれないか。部屋はいらないと言うと、それは無理だと言う。
少し粘ったのだが、無理だった。
ただその人は優しく、メインロードを少し歩いたところに、沢山安いホステルがあるので、安いのが好きなら、そこに行くと良いよ。と教えてくれた。
そのため、少しそちらの方角に歩いてみることに。
彼は歩いて2分もすればホステルが沢山見えてくるとスタッフは言っていたのだが一行に見えてこない。
それどころか不良のたまり場のような場所がある始末だ。
やばい気がした。
そしてその前を見知らぬ振りをして通り過ぎ少し歩くが、全くホステルがない。
それどころか、どんどん街灯が減って暗くなって行く。
そのため道を戻って、google mapでホステルを調べてしらみつぶしに当たって行くことにした。
そうしてメインロードを少し歩いていると、さっき通り過ぎた時の不良たちだろうか。
バイクで何台か自分の前を通り過ぎ、引き返してきて、こちらを見て、どこに行くんだ?ゲストハウスを探しているのか?と聞いてくる。
行く場所が無いと答えると少しヤバいかもと思って、「ゲストハウスに向かっている。」と答えると、送っていこうか?と言ってくれるではないか。
親切な人たちだった。
ただその言葉に乗るわけにはいかなかった。
行き場所が無いアジア人が一人でさまよっている事がバレると、どうなるか分からなかったので、その言葉を断った。
すると彼らは去って行った。
好意を踏みにじってしまった。。。
明らかに観光客が全くいないことが普通の時間帯だったので、観光客を騙すとかではなかったのだろう。
そしてまた練り歩く。
するとホステルらしきところが出てきた。
ワンチャンにかけて、ベルを鳴らす。
誰も出てこない。。。
また練り歩くかー。と思ってホステルを去ろうとすると、ホステルの中からかすかに音がした。
もしや!と思ってもう少し待っていると、男性が眠そうに出てきてくれた。
おお、神よ。
そこは1泊90000kip(およそ1100円)で、安くは無いが、背に腹は変えられなかったので、即決で部屋を貸してもらうことにした。
部屋は大きくダブルベッド。
エアコン付き。
すごく良い部屋に移ってしまったと思った。
そして今、今日の出来事を書いている。
なんだろう、一気に冷めてしまった。
光あるところに影があるとは言うが。
この街の影に目がついてしまった。
時刻は5時。
流石にボートでしんどくてクタクタだったところから動きっぱなしだったので、眠たくなった。
ので、電気をつけっぱなしで寝ることにした。
Luang Prabang2日目
メコンフィッシュバーガー
そして11時半までのんびり過ごし、部屋を出た。
まずお昼ご飯のため、近くのお店に立ち寄った。
ここは、フレンチとラオスの良いところが混ぜ合わさっているとネットに書かれていた。
メコンフィッシュ(メコン川で取れる魚)を食べてみたかったので、fish burgerを選択。
650円くらいだった。
うーん、美味しい。
そしてラオスの良いところとフランスの良いところが混ざっているというのが納得。
一見、ラオス料理ではない普通のハンバーガーだが、バーガーの中に、ピクルスとかの代わりにスパイシーなものが挟まっている。
間違いなくタイとかラオスとかで食べる味のあれだった。
少しお値段は張るけど、おすすめ!
そして店を出た。
チャールズカップルと再会
何か、昨日の一件で、観光欲を失ってしまったようだ。
長い道のりをかけてクアンシーの滝を見に行く気力というかやる気もなく、ワットシェーントンというお寺だけ、近いので見ておこうかな。と思って、そこに向かった。
音楽を聴きながらただルアンプラバンの道を練り歩く。
音楽を聴きながら歌を口ずさみながら歩く時間が大好きなので、とても良い時間だった。
と、そこで歩いていると、街の外れで、前から見た顔が歩いてくる。
チャールズとプリナだ。
再開を喜び、どこに向かっていたのか聞くと、
「お寺に行ったけど、ショートパンツだから入れなかった。だからただ練り歩いていた。」
だそうだ。
だから、私は、お寺見学を延期して、ちょっとだけ一緒に歩かせてもらうことにした。
メコン川にかかる橋。
2人ともとても優しくて気の良い人たちだった。
ちなみに彼らは、ルアンプラバンのあと、タイのイーサン地方に行くそうだ。
そこは有名ではないが、歴史的なものがあり、またシルクが有名だそうで、2人とも興味があるそう。(彼らは、家で蚕を飼っているそうだ。蚕は1ヶ月で生命のサイクルを終えるので、とても勉強になるそう。)
そして街を練り歩いた後、ルアンプラバンのlocal peopleが開くstory tellingを見つけたから興味あったら一緒に行こうよ。とお誘いしてくれたので、行くことにした。(彼らは歴史とかに興味を持っている。)
story telling
6時半開演の6時にチケット販売開始だそう。
そして一旦別れゲストハウスに向かい、ゲストハウスで一服。
そしてバークベンでの夜ご飯の時に少し待たせてしまっていたので、今回は待たせないように少し早めに出て、ちょうど6時に会場に着いた。
小さな会場だった。
が、reservedの席がいっぱいあって、びっくり!
受付の人に聞いてみると、このstory tellingは毎日1公演しているそうで、こんなにreservedがいっぱいなのはあまりないそう。
ただ、興味がある人は、良い席をとるという意味でも、早めに行ったほうが良い。遅くても6時15分-20分には会場に着かないと、席を取れない可能性がある。
この公演は5年前から行われているそうだ。
そしてチャールズたちも来て、story telling開始。
フラッシュ出てもた。。。
英語が8割型分からん。。。。
英語が苦手な人には、あまりオススメできない。
ただ、行ったことを後悔しているかと聞かれるとそうではなかった。
まずstory tellingの会場と演者の雰囲気が良い。
お兄さんの話もとても人を引き込ませる話し方をし、またその横のおじいちゃんがチャーミング笑
500円なので、高いわけでもない。
ちなみに、Storytellingは、歴史ではなく逸話のことです。
例えば、ルアンプラバンには「プーシーの丘」という有名な観光地があるが、それがなぜ「プーシーの丘」と呼ばれるようになったのかという逸話を説明してくれたりするのがstorytelling。
1つ関心があったのは、聴衆の態度である。
部分的に、ストーリーテラーのお兄さんが、何故だと思う?と観客に問いかける場面があったのだが、そこで観客は考え、思った答えを口口に発言する。
日本では恐らく、多くの人が思った答えを発言せず、思っておくに留めるように思うが、こういうところがやっぱり海外だなぁと思う場面であった。
そして英語が分からないので、眠りそうになるのを我慢して(1番前の席に座っていたので、寝れない!)、公演終了。
外に出てチャールズとプリナと話していると、プリナも9割型何を言っていたか分からなかったそう。笑
そして雨が降っていたので、とりあえず目についたお店で夜ご飯を食べることにした。
ラオビールを頼み、乾杯。
またメコンフィッシュ料理を頼んだ。
そして彼らと団欒しながら、ビールを飲みながら、笑いあって、幸せなひと時を過ごす。
1つここで挙げるとすると、彼らは明日は、モーターバイクをチャーターして、そのバイクに乗って、滝とかをうろちょろするそう。
それも楽しそうだなと思った。
すごく平和なひとときを過ごした。
プリナが
「I’m very happy to be here.」
と言ったが、まさしくそう言わせる街がLuang Prabangなのだと思う。
そして店の前で3人で写真を撮り、別れることに。
「See you again!」
ホテルに戻り、托鉢を見るために就寝。
明日は5時半に起きるぞー!
Luang Prabang3日目
カフェ「Mekong Espresso」
起きたら6時半だった。。。
盛大な大雨のせいで、アラーム音が聞こえなかった。
ゲストハウスを出るときに、少し受付の人と喋ったのだが、この雨(日本でいう普通の大雨のレベル。)は普通かと聞くと、今は雨季なので、特にこれは珍しいことではないそうだ。
そして少し歩いてみたものの雨がすごくて、傘を差していてもズボンが濡れてきたので、カフェに立ち寄った。
Mekong Coffeeというコーヒーがあったので、興味があり、聞いてみると、condensedでsweetだそうだ。
ブラックとかが好きな人には、あまりお勧めできないらしい。
ので、受付の人が進めてきてくれた、coconutdese?を飲むことに。
なんでも、ココナッツジュースとコーヒーが混ざっているそうだ。
なんかラオスっぽい。
250円。
正直、自分には合わないテイストではあったが、独特な味だったので、飲んで見る価値はあるように思う。
そこで受付の人と喋っていると、
「Do you like Luang Prabang?」
と聞かれた。
そしてその質問に私は即答できなかった。
「Yeah… I like it mostly, but …」
と続けて、昨夜見たゴミの話をした。
すると、彼は、ラオスの人もそれはnot goodと思っていると言う。
彼は15年前に家族で、チェンマイからルアンパバーンに移り住んだそうだ。
そして2年前からこのカフェを営んでいるそう。
気になったことを簡単に聞いてみた
ルアンパバーンに興味があり、どこかモヤっとしたものを持っていた私は、ネットでルアンパバーンについて下調べをしたあと、打ち解けたそのオーナーに頼んで、少し時間を取ってもらい、ルアンパバーン について幾つか尋ねることにした。
雨で、カフェのお客も少なく、インタビューをしても邪魔にならないと思ったからだ。
その男性は笑顔で快諾してくれた。
その受付の男性の名前はAppleさん、30歳。カフェの名前は「Mekong Espresso」
チェンマイの方の大学で学んだ後、家族がルアンプラバンにいるので、帰ってきて、2年前からカフェを営んでいるそう。
色々聞きたいことはあったが、あまり沢山聞いても迷惑なので、luang prabangについて、住民がどのような考えを持っているかを中心に、全て抽象的な質問として3つに絞った。
・「What do you think of current Luang Prabang? 」
・「What do you think of Luang Prabang now?」
・「What do you think of education in Luang Prabang?」(当初は「What do you think of tourists or tourism in Luang Prabang?」の質問にするつもりだったが、その前の2つの質問でそれらについても触れてくれていたので、インタビュー中に急遽質問を変えた。)
また彼も言っていたが、この解答は彼個人の意見であり、決してルアンプラバンの住民を代表する意見ではない。
・「What do you think of current Luang Prabang? 」
彼がまず答えたのが、「touristの数が減っている」ということだ。
どのくらい減ったのか聞くと(a little bit か so muchか)、so muchと答えた。
つまりtouristの数が激減しているらしい。
何故touristの数が激減したのか聞くと、
「分からないけど、chineseがここら辺のホテルとかを(他にも何か挙げてくれていたが、聞き取れなかった。)買収していっている。その結果、物価が高くなって、touristが来なくなったのかもしれない。」
と答えた。
他に何か思うことは無いか聞くと、
「大量のプラスチックゴミが問題だ。そのため住民をどのようにeducateするかが重要になる。」
と答えてくれた。
(後の会話で教えてくれたのは、今、街の道路沿いに、青いゴミ箱が点々と置かれているそうだ。)
道に点々と置かれているゴミ箱
・「What do you think of Luang Prabang now?」(あれ、1問目とどう違うの?笑)
「ルアンプラバンは観光都市で、住民は観光業で家族を養っている。でも観光客が激減しているため、それが問題だ。今、ルアンプラバンの有名な魅力は3つあって、まずuniqueなtemple。(ワットシェーントンとか。)そして2つに托鉢。そして3つにメコン川。でも、例えば美しいcaveとか他にも色々魅力はある。だからもっとそういったattractionを広めて、観光客を増やす必要がある。」
と答えてくれた。
しかしインタビューの前に、「中国資本が入ったためにローカルの人達は郊外に移り住んだ」という記事を見ていたので、
「地元の住民は観光業で家族を養っているって言ってたけど、ほとんど地元の人は郊外に移り住んでいるよね?」
と聞くと、
「そうだ。」
と答えてくれた。(その後に、色々話してくれていたのだが、聞き取れなかった。。。あまり聞き返しすぎても気を悪くされてしまうことはFlying G Hostel(仮名)で経験済みだったので、ここはあまり何度も聞き返さなかった。)
・「What do you think of education in Luang Prabang?」
Educationについて当初は聞く予定はなかったが、店の中に、「education is important. But coffee is more important.」という看板があったので、ルアンプラバンのeducationについて何か知っているのかと思い尋ねた次第だ。
「英語がすごく重要だと考えている。彼ら(後に聞いたところ、countrysideに大学があり、そこに様々な村から学生が勉学に来ているらしい。そこはcountrysideなので物価が高くないそうだ。)は、大学を出た後、職に就かなければならない。そしてルアンプラバンは観光都市であり、またラオスの第2言語は英語なので、英語を習得しなければならない。」
と言っていた。
続けて、
「観光都市で英語が重要なのは分かるけど、観光業以外に何かjobはないのか。」
と聞いたところ、
「今、海外のorganization(国際開発系のorganizationだろう。)と連携して、有機農業を実践している。」
と答えてくれた。
その割に有機農作物を街で見かけないよ。と言うと、ホテルとかそういった高級な所に卸されているのではと答えてくれた。
そして雨が止む気配が無かったので、インタビューを終えた後、カフェを出て、お寺に向かうことにした。
観光客が激減しているという悩みを聞いた後の、ルアンプラバンの道は、そしてお寺は、人気も少なく、どこか寂しげに見えた。
インタビューを終えた感想
1つ思ったのは、観光業に対する捉え方である。
私は、観光客がこの世界遺産の美しかったであろう街を汚している悪であるように思ってしまっていたが、アップルはそうではなかった。
アップルは、観光客をどのように増やすかを重要事項としていた。
確かに観光業がメインで、それ以外に特に利益を出せるような業を持たないLuang Prabangでは観光客を増やすしか無いのだろう。
しかし世界遺産の街をゴミで汚す。(1部ではあるが。)
そんな観光客は本当にAppleのいうとおり増やすべきなのだろうか。
ワットシェーントン
お寺は、非常にコミカル。
今まで見たことのないようなコミカルな絵が描かれている。
そしてカフェを出て、お昼ご飯を食べることに。(時刻は3時くらいで、その日は大雨のため、オレオしか食べてなかった。)
適当に見つけたお店に入って、ラオスフードをいただくことに。
(ノリとラープ。)
うん、美味しい。
ただスタッフが終始無言だった。
ので、特にオススメできるわけでもないので、どこで食べたかを表記するのは控えておく。
そして宿に向かうことに。
と、そこでスローボートで出会ったフィリピンの女性と再開。
彼女は、雨季のせいで観光できていないために、晴れる日を待って、5日間ほどluang prabangに滞在するそうだ。実際、その日も、ただのんびりと道を歩いていたそうだ。
本来なら、それを悔しく思うのが普通であるが、悔しそうな表情はなく、まさしく、「Doing nothing is Laos.」だった。
彼女にラオスフードを食べたかと聞くと、
「どれがラオスフードなのかあまり分からない。ただ、サンドウィッチは食べた。ラオスのサンドウィッチはフランスのものとは違い、柔らかい。」
と教えてくれた。
なるほど、後でサンドウィッチを試してみよう。
また、色々話していたが、1つここに記しても良いかなと思う情報は、
「15000kip(150円くらいかな。)で野菜取り放題のお店がモーニングマーケットにある。そこに行ったがとても良かった。安いので、おすすめだよ。」
だそうだ。
行ってみても良いのかもしれない。(私は、行かなかったが。)
Luang Prabangは再会の街
ここで気付いたのだが、スローボートで出会った人は、恐らく大変高い確率で、Luang Prabangで再開することになる。
Luang prabangの観光地自体が非常に小さく(恐らく2時間くらい歩けば、luang prabangのメイン観光地帯の外周を1周できると思う。)、attractionも限られているため、出会ってしまうのだ。
その面ではスローボートはオススメだと言える。
スローボートは知り合いを作るチャンスになり、知り合っておけば、Luang Prabangで再開するため、仲良くなれるからだ。
結局、そのフィリピンの女性とは3-4回、チャールズとプリナとは5-6回ほど偶然再会した。
See You Againを何度も口にした。
あまり夜中にやっているお店がないルアンプラバンで何回もお世話になったOREO
ナイトマーケット
そして少し一緒に歩いて、彼女と別れたのち、Simカードを持っていなかったので、ネットが使えず、迷った。
Simカードを提供しているLAO TELECOMが土日は休業しているのである。
やっとゲストハウスに着き、小一時間ほど休憩した後、お土産を買いたかったので、ナイトマーケットに向かうことに。
ナイトマーケットは非常に盛況だった。
ラオスのナイトマーケットは値切りを自分たちから切り出してくれる。
「I can discount.」
そして色々回って、気に入ったお土産を購入。
あの、大量のゴミが嘘かと思えるくらいには、道にゴミがない。
そしてゲストハウスに帰宅。
カフェのレビュー
Mekong Coffeeにて、もし良かったらTripAdvisorにレビューを書いてほしいと頼まれて快諾していたので、レビューを書いていた。
Mekong Coffeeについての他のレビューを見ていると、以下のようなレビューを発見。
「We came here based on the stellar reviews. Big mistake. Not only was the food VERY average and it took over 45 minutes to get any of it, even though we were the only people in the cafe, but when they eventually served us water, there were bugs floating in one of the glasses. And not just one bug. The server proceeded to get a spoon and try to scoop out the bugs… like he was going to scoop out the bugs and then give us back the same glass of water (!!??). That was bad sign #2.
Then as we continued to wait for our food and coffee, we witnessed one of the servers, who had been back in the kitchen, standing behind the front counter digging away in her nose. After she was done, she didn’t wash her hands or anything. I’m sure these kinds of things go on unseen, but there’s just something extra special about watching it happen that kills your appetite.
Once the food finally arrived, it was greasy and just plain below average food. We left hungry and disgusted. Most certainly NOT worth the wait or a visit at all.」
え。。
と思っていると、このレビューに対するマスターの返信を発見。
「Dear Madam
Respectfully , Please don’t poison our business very uglily in term of educated people , we all remember you , you are very angry to your late food, we are for that but it was not 45′ as your time. you also complain our price but we tag it in the menu before you enter , you can change restuarant by the way. we are sorry you self unsatisfied BUT NO BUGS & NOSE PICKING AS as you said.
anyway thank you for coming
keep calm and drink coffee in Buddhist Land.
Apple (owner
」
レビューの恐ろしさを再確認した。
マダムのレビューが本当か嘘かは分からないが、どちらにせよ、このレビュー1つで、このお店の尊厳を壊すことができてしまう気がする。
(自分は、オーナーの人柄を知っているので、オーナーを信じるが。)
そして、「Gが出た。」という事実だけ、先に泊まったFlying G Hostelのレビューに書きこんだろかと思っていたが、書かなくて正解だったような。そんな気がした。
他の人からのレビューは高評価であるため、そこにGが出たのはたまたまなんだろうし、その後のオーナーの態度は自分にとってはいただけるものではなかったけど、そのホステルの尊厳を壊してしまってもよいほどのものではなかった。
高評価は良いが、悪評価は、それなりの覚悟を持って書くべきなのだろう。
そしてレビューをtripadvisorに書き終え、1時に就寝。
Luang Prabang観光4日目
そして4時半に起きた。
托鉢は、チャールズによると、5時半~6時の間に行われるそうだ。
なので、4時半に起きて、なんやらかんやらして5時半に外に出た。(1時寝の4時半起き。。。)
場所は特に決まっていないそうだが、その場所を見つけるためのアドバイス的なものを言うとすると、
まず、僧侶たちが歩くルートの始まりはお寺であること。
つまり5時半前にお寺で張っておいたら、それを見つけることができる。(実際に5時半前にお寺の前を通ると、歩き始める前の僧侶たちがたむろしていた。)
2つに、イスに座ってお供えもの(?)をする地元住民や、その横で観光客用にお供え物を売っている人がいたりする場所があるので、そこを見つけるとよい。
とりあえず、メインロードを歩くと、必ず分かると思う。(場所の目印的には、宮殿前くらいだろうか。)
そしてそれを拝見した。
托鉢
托鉢を囲んで撮影する観光客の図
。。。。?
いやに若い人が目立つ。
12人ほどが1列で歩いていて、そのうち先頭の2人くらいが高齢で、あとは本当に若い。(目測だが、8歳~15歳とか。)
この列に徳があるのだろうか、と疑問に思ってしまった。
観光客ばかりがお供えものをしているのかと思ったが、結構ローカルの人もお供え物をしていた。
そしてそこでチャールズとプリナと遭遇。
うーむ、ルアンプラバンの小ささ、恐るべし。
そして彼らがちょっとぶらぶら歩くと言うので、ご一緒することに。
メコン川沿に行き、ボートを眺める。
漁を終えた人たちが魚を運んでいる。
恐らくモーニングマーケットに運ぶのだろう。
今日は、ルアンプラバンに着いて、初めてのレベルで晴れていた。
どうやらチャールズとプリナは、モーニングマーケットでコーヒーを飲む習慣がついているらしく、(まだ2日やけど。と笑っていた。)そこでモーニングマーケットに行き、エスプレッソを飲むことに。
モーニングマーケットに向かうと、Apple(Mekong Espressoの店主)にも遭遇した。
Luang Prabangは「再会の街」だと思う。
エスプレッソ、100円。
美味しかった。
そして彼らと団欒。
エスプレッソをおかわり。
平和なひと時を過ごす。
そこで話していると、彼ら曰く、
「東南アジアに観光客が全然いない気がする。チェンマイとかでも全然観光客を見かけなかった。」
と言っていた。
もしかしたら東南アジア自体から観光客が減っているのかもしれない。知らないけど。
そしてそのお店の店主曰く、「今日は来たるここ数日のうちで、最後の晴れ」だそうだ。
だから今日のうちに観光地を回っておくと良いよと言ってくれた。
その、店主とプリナと自分で喋っている時に、(その時チャールズはトイレに行きたいと言って、先にゲストハウスに帰っていた。)ふと、「あぁLuang prabangの人が暖かいというのは、こういうことか。」と思った。
昨日までは知らない人同士でも、気さくに話すことができる。
これは店の人だからではないのか。という疑問が出てきそうだが、店の人ではなくても気さくに話すことができるし、日本では店の人でさえ、そこまで気さくに話せない気がする。(観光地である京都でさえ。)
そしてモーニングマーケットで別れ、一旦ゲストハウスに戻る。
何やら体がだるい。体調を壊したようだ。
ゲストハウスに入って少し寝ようとすると、
「こんにちはー!」
とスタッフが日本語で話しかけてくれた。
話してみると、日本大好きで日本語を学んでいる、いつか日本に行きたいと言ってくれるスタッフさん。
何故日本が好きなのか。
そう聞くと、日本人はすごく親切だ。と言う。
定番のパターンである、アニメや漫画などが出てくると思っていたのだが、そうではなかった。
彼が言うには、
「日本人に話しかけると、みんな親切に笑顔で話してくれる。日本人はシャイだと言われているけど、そうではないと思う。内に強いものを持っている。」
と言ってくれていた。
このスタッフさんに、こう言わせてしまうほど良い印象を与えた日本人のことをすごく偉大に思った。
彼ら(日本人)が知らない人(このスタッフさん)に対して真摯に対応したことは、明らかに彼(このスタッフさん)の中に残っていた。
私も、そのような日本人になりたい、彼らに続きたいと思った。
彼は、25歳でLuang prabang出身のモン族らしい。
言語学習が好きで、若い頃は、メインストリートの路上で日本人に積極的に声をかけたりして日本語を勉強していたらしい。
また、日本語の勉強をしている姿を見せると、旅行している日本人が沢山話しかけてくれるそうで、そうして日本語を勉強していたそうだ。
彼の熱心さには恐れ入った。
しかし、今は25歳となり、その行動を取っても、怪しがってあまり話しかけてくれなくなったので、今はやっていないそうだ。
歳は残酷である。
そして日本人の先生を探すことも難しかったため、ちょっと断念して、今は中国語とスペイン語を学んでいるそうだ。
中国語に関しては中国からの観光客が沢山いるため、実地で勉強できるからだそう。
彼曰く、モン族は固有の言語を持っているので、
「モン族の言語、ラオス語、タイ語、英語、日本語、中国語、スペイン語」
と彼の言語学習が推移しているそうだ。
すげぇ。
そして折角の日本人と喋っている珍しいであろうチャンスなので、日本語を交えてレクチャーしつつ、いろいろ気になっていた地域のことについて聞いてみた。
托鉢を見たが、多くの僧侶がとても若かった。あれは何故なのか。
彼曰く、
「小さい頃から、お寺で修行するように、家族から強制される子がいたり。
お金がなくて、お寺だとご飯とかも食べれるので、それでお寺に入ったり。」
色々だそう。
「ただ多くが、年をとると、お寺を出て、大学とかで学び始めることもあると言う。
そこで残った人たちが、あの先頭を歩いているような高齢の僧侶になるんだと。」
なるほど。
そして「ルアンプラバンで大量のゴミを見た。この地域での問題は何だと思うか。」
と聞いてみた。
すると、
「考えたこともなかった。難しい問いだ。」
と答えた。
彼が何も考えずに過ごしていると言うわけではなく、それが普通のように思う。
実際私も故郷の大阪の問題は何だと思うかと聞かれると、何も答えられない。
Appleが、自分の考えを持っていて、すごいと思った。
それにしてもしんどかったので、切り上げて部屋で寝ることに。
睡眠時間が3時間の弊害かな。
30分ほど寝ることにした。
そしていつ降ってくるかも分からない雨が降ってくる前に、プーシーの丘に登ることに。
しかし入口が分からん。。
ネットで調べようと思って、LAO TELECOMでSIMを買った。(土日は閉店だった。今日は月曜日!)
SIMの値段表は以下の通り。
自分のsim freeのタブレットはphone numberが無いため、少し複雑な手順を取らなければならず、その意味の相互理解に苦しむ。
そして相手の態度が悪い。
こちらが相手の分かるような単語だけを並べて説明しているのに、鼻で笑って理解しようとしない。
言語が通じないと本当に不便である。相手の考えていることや思っていること、相手がどこまで理解しているのか、何も分からない。
そしてプーシーの丘に。
良い景色だった。
プーシーの丘は、登り続けると多分10分もかけずに登頂できるのだが、段差が険しい。
結構体力を持っていかれる。
そして丘を降りて、昼ご飯を食べることに。
適当に少し安めのお店に入って、炒め飯を食べることに。
驚いた、日本で食べるチャーハンの味付けそのものだった。塩コショウが効いてて。
300円。
おすすめ!
そして多分熱が出ていた。しんどかった。
ちょっとゲストハウスに帰って、旅ノートを書いて過ごした。
折角の晴れの日なのに。。。
そして夜ご飯に、ゲストハウスの向かいにある「kaiphaen」へ。
ここはどうやら、ラオスで修業できない子たちを支援するレストランだそうで、コンセプトも良いし、とても上品な雰囲気のお店だった。
お値段は500円ほどかな?おすすめである。
そしてゲストハウスに帰って、早めに寝ることにした。
そしてこのしんどくなってきた時らへんから濃厚になった考えがある。
「ここらで旅を終えることにしようかな。」
まだ、私の当初の大まかなプランの途中であった。
これからラオスの首都ビエンチャンに行き、それからバンコクに戻り、カンボジアに行く途中にタイ南部のチャーン島で過ごし、そしてカンボジアでアンコールワットを見て、ベトナムのハノイに行って、日本に帰る。
その周遊の途中というか、まだ前半だった。
しかし旅を終えようと思った理由は次の6つである。
闇
まず1つに社会問題に目がつくようになってしまったこと。
あまり今、旅を純粋に楽しむ余裕が無くなってしまった。
メコン川のスローボートで見た、欧米の男の子とローカルの子達の対比。この世の不平等。
観光業を営むことによる大量のゴミ問題。美しかったであろう景観を汚す。
愛する飼い主に捨てられ、毛色が野良で生きたことを物語っている悲壮感漂わせる野良犬・野良猫。
モーニングマーケットではその野良犬の肉を売り。(チャールズから、そんなのがあったよと聞いただけであるが。彼らは食べられるために生まれたのではなく、人間と供に過ごすために生まれた愛玩動物なのである。)
ルアンプラバンを徘徊している物乞い。(なんか、変な歩き方をして、目を片方つむり、障害を抱えていますと言わんばかりの風貌をして、観光客から金をたかっている。実際私もチャールズたちと歩いているときに、急に後ろから近寄られて、ポケットとか靴下とかを急に触られた。(お金が無いか確認している。)近寄らないのがベスト。もしもその風貌が本当のものであるなら責めることはできないが、十中八九、障害を持った風貌を装っているだけの人。タチが悪い。)
中国資本の参入によるものだそうだが(詳しくは知らない。)、ローカルの人々を郊外に追いやり、立ち並ぶ観光客向けのレストランやお店。
若い子供が多くを占める托鉢、そしてそれに群がる観光客。(元はもっと権威のあるものだったのではないだろうか。)
kaiphaenなどで、まだ幼いながらに就業経験をして頑張っている子供達。
観光客を誘うために、毎日しない格好をしてそれっぽく見せているモン族の村。人間動物園。(後に毎日しない格好をしているとモン族の人から聞いた。)
そして「世界一訪れたい国」などと称し、観光客が押し寄せ、観光客向けの都市と化し、興味がなくなったら観光客は激減し、元の景観が戻らないまま、現在の住民を困らせる観光客・観光業の在り方。
一度、この類のことに目がつきだすと、止まらなかった。
enoughだった。
観光客がお金を落とすことで、観光業都市であるこの街は成り立つことができる。
それは重々分かっているのだが。
最初のFlying G Hostelからの大量のゴミを見かけなければ、チャールズやフィリピンの女性のように、
「I like Luang Prabang so much.」
と言えたのかもしれない。
考えすぎちゃうところが悪い癖。
その他の理由
2つに体調を壊しかけていたこと。
早起きや、それ以前の結構体調を考えない行動により、体調を壊してきていた。
恐らくないとは思うが、これが何らかの病気である可能性も否めず、ならばその症状が出る前に早めに日本に帰ってゆっくりするのが得策と思った。
3つにGのせいで、ホステルに泊まりたくなくなってしまったこと。
あれからずっとゲストハウス(1泊1000円程で、それでも安いが。)に泊まっていて、結構お金がかかる。
ちょっと時間を置かないと、あの恐怖は払拭できそうになかった。
それに基本的にホステルは1泊300円程度で安いのだが、ずば抜けて高評価だったそのホステルでGを見たことは、Gが出てもなんら不思議はない環境に東南アジアはあることを私に再認識させた。
4つに、ちょうど2週間経っていたこと。
5つに、移動がちょっと億劫になっていたこと。
東南アジアは、環境が整っていないため、どうしても移動の際に、不便が伴う。
例えば、luang prabangからビエンチャンでも、移動手段でスリーピングバスを選ぶと、見知らぬ人と一緒に隣り合わせで寝ることになる。
またそのバスが、過去に山賊に襲われたことがあるという情報も出てくる。
この話をチャールズたちにすると、彼らはバンコクからチェンマイまでバスで言ったそうだが、それもバスの中で何らかの毒(?)ガスがまかれたことがあるという情報があったよ。的なことを言っていた。
チェンマイ→ルアンプラバンでもそうだったが、移動手段を考えるのに少し疲れていた。
6つに、今、旅を終えても、十分楽しかった。と言えるレベルだったこと。
このまま旅を続けて体調を壊したり、見たくないものを見たりすると、絶対的ルールである「終わりよければ全て良し」が壊れてしまう。
それは避けたかった。
と、旅を終わるに足る要因が多く頭の中に出てきた。
ので、ここで旅を終えることにした。
そして最終日2日前
この日はのんびりと過ごした。
あまり動き回っても、体調が悪化するかと思ったからだ。
カフェに行ったのだが、ここのカフェは非常にオススメ。
名前は「Saffron Coffee’s Espresso」
2階には、ドアがついていてエアコンが効いている!!
ドアがついているから虫も全然いない。
ただ、造りが脆いのか床がギシギシ揺れるけど笑
最後の夕日。
最後の晩餐
最終日
ここまで3泊くらいした、このゲストハウスすごく住みやすかったです。
スタッフさんも親切で、ベッドも広くて、シャワーもホット。相変わらずトイレとシャワーは一緒の場所にあるけど。個室だから、まあいっか。
値段は確か1000円justくらいです。
正真正銘最後のラオスフード。(昼食)
カオムーデーンを結局食べられなかったので、それに似たお肉が乗っているNoodleをいただいた。
あっさり味で、すごく美味しかった!
このお店です。
最後のラオスの街並み
すごく綺麗。
てか、結局この2-3日めちゃくちゃ晴れ。笑
モーニングマーケットで女将が言ってた、「今日が最後の晴れだよ、あんたたち。」は一体。。。
その後ゲストハウスのスタッフに聞いたところ、天気予報は、あるにはあるものの、あまりあてにならないと言っていた。
なので、ルアンプラバン(ラオス全体もかな?)を観光する際には天気予報をあまり信じない方が良いのかもしれない。
そしてトゥクトゥクが来るまでに時間があったのでゲストハウスのスタッフと喋る。
ゲストハウスのスタッフさん
昨日思い出したのだが、少し話した時に、彼(ゲストハウスで知り合ったスタッフさん)はモン族の出身だと言っていた。
モン族、、、?
あ!
そう、チェンマイで観光地として有名だった、あの村もモン族だったのだ。
こんな機会もなかなかないだろうと思ったので、少しモン族について彼に尋ねてみた。
・モン族は、あそこ(チェンマイの観光地のところ)にしかいないのか?
モン族の多くは、あそこらへんに住んでいるが、他は色々な場所に散らばっているそう。
・モン族は、何か首に巻きつけるもので有名で、観光客はそれを見ることを楽しみにしているが、彼らは毎日あれをつけているのか?
あれはクリスマスとか(お正月だったかな?)特別な日につけるもの。なので毎日はつけていない。観光客のために毎日つけているが。
・あの観光で有名な村は多分モン族の一部だろう。他のモン族はどのように過ごしているのか?
多くはfarm(farmingだったかな?)農業で生計を立てているそう。
だそうだ。
うーむ。
要するに観光客を喜ばせるために、首に何かを巻きつけて、毎日それっぽいことをしているってことだろう。
それってどうなの?
と思わずにはいられなかった。
モン族に対してではなく、その状況についてである。
そして彼と喋っていると途中で、
「もしも日本の人が来ることがあったら、このホステルに泊まるようにお願いしてもらえませんか?」
と笑顔で言われた。
もちろん彼が日本語を勉強するためだ。
中国人は沢山宿泊しているので、中国語は勉強できるが、日本人が来ることが珍しいので、日本語が勉強できないそう。
彼曰く
「今、あなたの他に、日本人が1人このホステルに泊まっています。でも、彼は英語を喋るので、日本語の勉強ができません。」
だそうだ。
私は英語も多少ではあるが喋れるようになっているので、特に私が英語を喋る機会を重んじるよりも、日本語を学びたいと言ってくれている彼と日本語で喋る方が良いと思ったので、日本語を交えて喋った。
しかし多くの日本人は英語を喋れず、英語を喋る機会が貴重なので、彼の日本語の訓練に付き合うよりも英語を喋ることを優先してしまうのだろう。
経済が衰退している日本。
せっかく日本に対して興味を持ってくれているのに、日本語を学ぶ機会を彼が持てないことは問題だと思った。
日本でも英語を学ぶとなると同じような状況になるのだが、しかし安いオンライン英会話や、観光地で外人さんと喋るなど選択肢はある。
しかし日本語となるとそうはいかないのだ。
どうにかして彼の日本語学習を手伝ってあげたいと思い、
「自分はTOEFLとかについてブログを書いている。その記事がGOOGLEの上位にあり、それらを勉強している日本人が沢山見てくれている。(1日100人くらいだけだけど。)そのブログで、あなたを紹介して、英語を喋りたい人を募集しようか?あなたは英語をペラペラ喋ることができているので、あなたは日本人に英語を教える。そして、日本人はあなたに日本語を教える。どう?」
と提案してみると、すごく喜んでくれた。
ということで、日本人で英語を喋りたい人募集。
なので初の試みではあるが、彼の日本人話し相手を募集することにしました。
ここでも連絡先を貼っておきます。
当初は、彼のFacebookをここに貼り付けるつもりだったんですが、いたずらで連絡したりがあると嫌なので、一度私を経由してもらうことにしました。
以下を参考にして、ご連絡ください!
・shibahayaton@gmail.com(@を半角に変換して下さい。)
・相手:モン族出身の25歳男性。(名前は伏せておく。)気さくな方で、今はゲストハウスで働いています。モン族と聞くと、村の人みたいに思ってしまうかもですが、日本人と同じく普通のアジア人という感じです。
・彼の英語レベル:ゲストハウス宿泊者とも英語で普通に喋っていて、すごいです。勉強方法は独学。
・彼の日本語レベル:全く日本語を喋れないわけではなく、少しだけ喋れます。
・募集:彼に日本語を親切に教えられる方。(英語を使って、日本語を教えるということになるので、英語が多少喋れないと厳しいと思います。)彼から英語を学びたい方、もしくは彼と異文化交流したい方。
・備考:時間、使用アプリなど、決まりごとは全くありません。1度きりの電話でも彼がOKならOKだし、彼が嫌ならダメです。要するに全て彼と連絡をとって決めてもらいたいと思っています。
この募集に興味がある方は、以下の記入要項の3点を上で紹介したメールアドレスまで送って下さい。その内容をそのまま彼に送りますので、そこからFacebook上でコンタクトをとっていただきたいと思います。
記入要項
・FacebookアカウントのURL(友達0とかのアカウントは申し訳ないですが、いたずらと判断して対応致しません。)
・お名前と年齢・性別
・現在の英語のレベル
・彼としたいこと。(英語を教えて欲しいのか。英語をただ話したいのか。どのくらいの時間を想定しているのか。とりあえず1回話してみたいとか。なんでも結構です。)
いたずらの人を紹介したくないので、上の項目を真面目にご記入いただけるとスムーズに紹介させていただけます。
よろしくお願い致します。
(1つ疑問なのは、language exchangeだったかな?他言語の人たちどうしが教え合えるみたいなWebサービスがあった気がするけど、機能していないのかな?それを使っている日本語学習者を見たことがない。)
Back To Japan
そしてラオスのLuang Prabang空港から、タイのドンムアン空港を経由して関空へ。
ドンムアンにて夜ご飯。
ドンムアン空港にも、3階と4階にレストランが少しあるのだけれど、少し高めだったので、あまりオススメはしない。
空港飯ならスワンナブームの方がおすすめ。
そしてドンムアンから関空へ。
Luang Prabang → ドンムアンは air asia で、ドンムアン →kix はknock schootで帰ってきたのだが、結局どちらも荷物の重量チェックはなかった。
行きも無かったので、行きの際の受付のスタッフさんが言っていたことを元に考えると、
そこまで大きすぎることのないカバン1つだけだったら、重要検査は基本的にされないのかもしれない。
そしてkix到着。
税関にて、カバンをやたらとチェックされた。
カバンの中全てチェックされたので、
「僕、怪しかったですか?笑」
と聞いてみると、ドンムアンで麻薬(だったかな?)の密輸がお盛んだそう。
あと、バックパッカーの若者だということもあるのだろうけど。
その時思ったのは、
「ナイトマーケットでコピー商品買わなくて良かったー!」
でした笑
法に触れる商品を買われる方は、ドンムアン空港を使うのなら難易度高めかも。
総じた感想
日本に帰ってきたときの感覚
日本に帰って来た時に、My Hometownである安堵の感情を感じることを予想していたのですが、そうではなかったことに驚きました。
なんだろう、少し寂しかった。
旅が終わったことの寂しさもあったんだけど、多分、人の寂しさ。
知らない人でも気さくに話しかけられるあの雰囲気の欠落。
東南アジアは日本と違ってシステムが整っていないがために不便に感じることや交通手段の不足、言語が通じない、虫が多い、清潔感に欠ける、などなど色々嫌に感じる部分はあったものの、「また行きたいな。」と何故かそう思ってしまいました。
そんな不思議な魅力に溢れた地域でした。
チェンマイ大好き
この旅で一番住みやすかったのはチェンマイでした。
本当はチェンマイにもっと滞在したかったです。
ナイトマーケットなどがあって、夜のアトラクションがある。ご飯も美味しい。
マクドナルドなどチェーン店も多くあるから便利。
都市が狭く、全てが密集しているので、全てのことをその小さな地域内でやりくりできる。
夜もソンタウとか沢山走っていて、移動にも困らない。
人も気さくに話すことができる。安い。ホステルも良いところを見つけた。
サンデーマーケットが大きくて、本当に良かった。
チェンマイ、一番最高でした。
スローボート
当初、スローボートは面倒臭いものだと思っていたのですが、(多分ネット検索で調べている多くの方がそのような感想を抱くのではないでしょうか。)乗る価値はあるなと思います。
・人に出会える。
Luang Prabangでは何度も彼らと再開することでしょう。楽しいですよ。
・景色が綺麗
雨が降ったら最悪なんですけど、晴れたら本当に景色が良い。
・ただ、やっぱりしんどい
2日間のボートですので、しんどいのはしんどいです。ただ、フィリピンの女性は今回が2回目のスローボートだと言うように、ハマる人はハマるのでしょう。
人の温かさ
笑顔って本当に大事なんだろうなって思います。
東南アジアの雰囲気が温かい。
見知らぬ人に対する距離感が1つの理由のように思います。
まだ全てが整っておらず、お互いに協力することも多いのではないでしょうか。
だから日本の昭和の時代のような温かさを持っている。
(根も葉も無い推測だけど。)
チャールズとプリナ曰く、フランスでは、この気さくさは有り得ないそう。
日本では今や全て個人でやっていけるため、また見知らぬ人を信用するななど吹き込まれるような時代であるため、この気さくさは感じることができないのではないでしょうか。
(東北とか沖縄とかに行ったら感じることができるのかも?)
最後に
タラタラとボリューミーに書いてすみません。
何か役立つ情報があったら嬉しいです。
今年の10月から、お仕事の関係で、また東南アジアの何処かの国に2ヶ月ほど滞在する予定なので(まだどの国にするか決めていない。)、またその時に記事を更新すると思います。
よろしくです。
追記
海外で歩きながら音楽を聴きながら歌を口ずさむのが本当に大好き。
個人的に、東南アジアに合っているなと思った曲は以下。
Born This Way
もともとお気に入りの曲だったのですが、様々な人が集う東南アジアを形容しているかのような曲。
Slow and Easy
東南アジアの旅行の最終日から2日前くらいに何故かyoutubeのおすすめに出てきた曲。
この動画も良かったですが、歌自体がすごく合っていた。
南国にいるかのような曲。